ペキニーズの先祖って、始皇帝の犬じゃないの?と思っている方、実はその答えはもっと複雑です。
ペキニーズの歴史と祖先をたどると、確認できる記録だけで優に1,000年以上、起源まで遡れば2,000年以上ともいわれるこの犬の物語が見えてきます。
チベットの僧院、中国の宮廷、そしてアヘン戦争という歴史の激流を経て、現代の私たちの元にたどり着いた犬。
その由来を知ると、あの独特な風貌と気質が、まったく違って見えてきます。
この記事では、ペキニーズの祖先と起源にまつわる通説と史実を整理し、遺伝子研究や一次資料に基づいて「本当のペキニーズの歴史」を時系列でお伝えします。
「始皇帝より古い」という可能性がなぜ出てくるのか、その答えもここにあります。
- ペキニーズの祖先がチベット系なのか中国発祥なのか、遺伝子研究の結論
- 「始皇帝の愛犬」説が史実かどうか、考古学的な答え
- 宮廷で1,000年かけて作られた「獅子犬」誕生の真相
- アヘン戦争でペキニーズが世界に渡った、知られざる歴史の裏側
ペキニーズの歴史と祖先、実はまだ謎が残っている?
「ペキニーズの起源はどこか」という問いに、実はまだ世界の研究者たちも断言できていません。
遺伝子科学と歴史学が交差するこの謎に、順番に迫っていきましょう。
| 説 | 主な根拠 | 信頼性 |
|---|---|---|
| チベット起源説 | 遺伝子系統樹でラサ・アプソ等と同クラスター形成 | 科学的根拠あり(祖先の共有は確認済み) |
| 中国大陸独自発祥説 | 宮廷での閉鎖的な選択交配による独自ゲノム構造 | 否定できないが形態固定の地は中国が有力 |
| 始皇帝時代起源説 | なし(一次資料・考古遺物ともに証拠なし) | 19世紀以降の創作神話と結論づけられている |
チベット出身のラサ・アプソ?それとも中国生まれ?2つの説を整理する
ペキニーズの起源については、長い間「チベット起源説」と「中国大陸独自発祥説」の2つが交錯してきました。
どちらの説も完全には否定できない、というのが現在の正直な学術的立場です。
遺伝子科学が出した答え
2004年に学術誌『Science』で発表された大規模なゲノム比較研究では、85犬種のDNAが分析されました。
この研究において、ペキニーズはグレート・デーンやダックスフンドといった近代ヨーロッパで作出された犬種とは明確に異なり、オオカミから極めて早期に分岐した「基底系統(古代犬種)」に属することが証明されています。
さらに注目すべきは、系統樹解析の結果です。
ペキニーズはチベタンスパニエル、チベタンテリア、ラサ・アプソ、シーズー、そして日本の狆と同じ「アジアのトイドッグ・クラスター」を形成していることが確認されています。
つまり、ペキニーズの祖先群はチベット地方を含む古代アジアで広範囲に交配・流通していた小型犬たちと深く繋がっており、「チベット発祥の血が流れている」という見方には、かなり強い科学的根拠があるのです。
では「中国発祥説」は間違いなのか?
そうとも言い切れません。
遺伝的な祖先がチベット地方に存在した可能性は高いものの、「現在のペキニーズという品種」としての形態的・遺伝的固定化が行われた場所は、中国の宮廷という閉鎖的かつ高度に管理された環境であったと解釈するのが学術的に妥当です。
シルクロードを介した犬の流通記録についても、秦漢帝国から唐代にかけて西域から珍しい動物が宮廷へ貢物として献上された記録は多数残っています。
しかしながら、「ペキニーズの直接の祖先がいつ、誰によって売買されたか」を示す明確な荷受記録は、現時点では発掘されていません。
| 項目 | チベット起源説 | 中国大陸説 |
|---|---|---|
| 遺伝的な祖先の共有 | ✅ 系統樹で確認済み | ⬜ 独自構造もあり |
| 品種としての形態固定 | ⬜ 断言できない | ✅ 宮廷環境が有力 |
| 一次資料的な文献証拠 | ❌ 未発見 | ⬜ 唐代以降に記録あり |
結論として、「祖先の血統はチベット周辺のアジア系トイドッグに起源を持ち、ペキニーズという品種に仕上げたのは中国の宮廷」というのが、現在最も整合性の高い理解です。
始皇帝の愛犬はペキニーズだった?…JKCが示す公式見解とは
ペキニーズの話をすると、必ずといっていいほど登場するのが「始皇帝の愛犬だった」という説です。
さらに「始皇帝が行った焚書によって、それ以前の記録がすべて失われた」というドラマチックな伝説もセットで語られることが多い。
結論からいえば、この説は史実ではなく、19世紀以降に西洋で創られた神話です。
考古学が突きつける現実
司馬遷の『史記』をはじめとする古代中国の歴史書や、近年発掘された秦簡などの行政文書群には、始皇帝の政策や軍事、法体系に関する膨大な記述がありますが、短頭種の小型愛玩犬に関する言及は一切見当たりません。
さらに1974年に発見された始皇帝陵の兵馬俑坑からは、実物大の兵士や馬の精巧な陶製模型が出土しましたが、宮廷の愛玩犬を示す証拠は皆無です。
商(殷)代から秦代にかけての遺跡で出土する犬の骨格は、主に狩猟用・番犬・儀式用の中〜大型犬のものであり、ペキニーズのような極端な短頭種の骨は発見されていません。
AKC(アメリカンケネルクラブ)の公式歴史記述でも、ペキニーズの起源は「漢王朝(紀元前206年〜紀元後220年)」に遡るとされており、秦の始皇帝の時代とは公式に認定されていません。
「焚書で記録が消えた」説の問題点
「焚書によってペキニーズの記録が消えた」という話も、論理的に成立しません。
始皇帝の焚書坑儒は思想統制を目的とした歴史的事実ですが、農業・医学・占術などの実用書は焼夷を免れています。
「ペキニーズの繁殖記録だけが意図的に狙われて焼き払われた」とする特定の証拠は、どこにも存在しません。
研究者の見解としては、この「始皇帝の愛犬説」は19世紀以降に中国文化が西洋に紹介された際、オリエンタリズム(東洋への神秘主義的関心)に基づく神話化の過程で創作されたものと考えられています。
ペキニーズの希少性と古代性をドラマチックに演出するための「創られた伝統」だったわけです。
とはいえ、漢王朝の時代でも十分すぎるほど古い。2,000年以上前から存在していたという事実は変わらないのです。
そもそも「ペキニーズ」という名前はどこから来た?
「ペキニーズ(Pekingese)」という名前の由来は、かつての北京の英語名「Peking(ペキン)」にあります。
北京発祥の犬、すなわち「Pekingese」という呼称が英国で定着し、それが日本語にも輸入されました。
中国では古来より「獅子犬(ライオンドッグ)」や「京巴(ジンバ)」などと呼ばれていましたが、西洋で普及した際に「ペキニーズ」という英語名が国際的な正式名称として定着しました。
ジャパンケネルクラブ(JKC)においても「ペキニーズ」の名称で犬種登録されており、グループ9(愛玩犬)に分類されています。
国際畜犬連盟(FCI)の公式スタンダードでは、原産国は「中国」、パトロネージ(後援国)は「英国(Great Britain)」と指定されています。
この「原産国:中国、後援国:英国」という特殊な組み合わせ自体が、ペキニーズが歩んできた波乱の歴史を物語っています。
ペキニーズの祖先が「神の犬」と呼ばれた、宮廷1,000年の物語
ペキニーズという犬の今日の姿は、「偶然」ではなく「1,000年以上にわたる人間の意図」によって作られました。
その背景にあった仏教信仰と、宮廷ブリーディングの驚くべき実態に迫ります。
「獅子に似せた犬を作れ」…1,000年かけて行われた宮廷ブリーディング
中国では古来より、トラなどの猛獣は生息していましたが、ライオン(獅子)は地理的に生息していませんでした。
ところが仏教の伝来とともに、「文殊菩薩の乗り物」であり「悪霊を払い仏法を守護する神聖な獣」としての獅子のイメージが中国全土に定着していきます。
そこで宮廷が目をつけたのが、手元にいる小型犬でした。
「現実にいないライオンを、犬で具現化しよう」この発想が、ペキニーズの外見を作った根本的な動機です。
仏教の獅子信仰がペキニーズの顔を作った
「獅子犬(Foo Dog / Lion Dog)」という呼称はまさにここに由来します。
平たく短縮した顔(短頭)、頭部から胸元にかけて広がるたてがみ状の豊かな被毛、そして威厳を感じさせるゆったりとした歩様。
これらすべては、仏陀の獅子を地上に具現化するための、徹底した人為的選択の結果です。
唐代(618〜907年)の絵画や工芸品には、現代のペキニーズに近い小型犬の姿が見られるとされています。
ただし、当時の記録と現代のペキニーズが完全に同一の系統であると証明することは現時点では難しく、「唐代に類似の犬が宮廷にいた」という表現が正確です。
「太陽犬(Sun Dog)」と呼ばれる黄金・赤茶色の個体、「月犬(Moon Dog)」と呼ばれる淡色や部分色の個体が存在し、これらは皇帝の衣装(黄色は皇帝の絶対色)に合わせてコーディネートするための配慮でもあったとされています。
| 呼称 | 毛色 | 由来 |
|---|---|---|
| 太陽犬(Sun Dog) | 黄金色・赤茶色 | 太陽の色=皇帝の象徴色に対応 |
| 月犬(Moon Dog) | 白・淡色・部分色 | 月の色に対応した格式ある毛色 |
| 獅子犬(Lion Dog / Foo Dog) | 全般 | 仏教の守護獣・獅子を犬で表現 |
宮廷内では特に体重が約1.3〜2.7kg程度の極小サイズの個体が「袖犬(Sleeve Dog)」と呼ばれ、皇族や高官の幅の広い袖の中に入れて持ち歩かれていました。
冬場の懐炉代わりとして、また袖の中に隠し持てる護衛犬としても機能していたと伝えられています。
皇帝だけが飼える犬、宮廷の外に出したら死罪という禁断の掟
「ペキニーズを宮廷外に持ち出した者は死刑」という話を聞いたことがある方は多いでしょう。
これは事実に近い話ですが、正確には少しニュアンスが異なります。
清朝の刑法典である『大清律例』などの法制史料において、「ペキニーズという特定の犬種の窃盗」を名指しした独立した極刑条項は確認されていません。
しかし、当時の法体系において皇帝の私有財産(御物)を盗む行為そのものが大逆罪や重窃盗罪に該当し、結果として死刑が適用された事例は存在したと考えられています。
「ペキニーズだから死刑」ではなく、「皇帝の所有物を盗んだから死刑」という法解釈の実態が、後世の西洋で「ペキニーズ専用の死刑法」としてセンセーショナルに語り継がれたわけです。
いずれにしても、ペキニーズが数百年にわたって宮廷の外に出ることなく、完全に閉鎖された環境で独自の交配を重ねてきたことは確かです。
それがあの強烈な個性と独立心を持つ性格を生んだことを考えると、歴史と犬の性質は見事に一致しています。
ちなみに、葬儀においてペキニーズが皇帝の棺を先導したという伝承も存在します。
ただしこれは清朝の公式な典礼記録に制度として明記されているわけではなく、一部の西洋文献の伝聞にとどまるため、「そういう習わしがあったとされる」という表現が正確です。
ペキニーズのあの「言うことを聞かない」「マイペースすぎる」性格は、実はこの宮廷生活と深く関係しています。詳しくはペキニーズを飼って後悔した理由7選で解説していますので、飼育を検討している方はあわせてご覧ください。
西太后が後世に残した「犬種スタンダード」という遺産
清代末期、ペキニーズ愛好家として最も有名な人物が西太后(慈禧太后、1835〜1908)です。
彼女はペキニーズに並外れた愛情を注いだだけでなく、19世紀に「ペキニーズの犬種スタンダード(犬種標準)」ともいうべきテキストを自ら起草したとされています。
このスタンダードの内容が驚くほど詳細かつ詩的で、現代のFCIやAKCの犬種標準の歴史的基盤ともなった重要な記録です。
アメリカのペキニーズ・クラブ・オブ・アメリカ(PCA)の公式サイトでは、その全文が英訳されて公開されています。
西太后スタンダードの驚くべき内容
たとえば前肢の湾曲(O脚)については、「前肢は曲がっているべし。
それにより遠くへ放浪したり、宮廷の敷地から離れたりする欲望を持たせないためである」と記述されています。
犬の行動範囲を物理的に制限し、宮廷からの脱走を防ぐという意図を持った、残酷なまでに計算された形態的変形だったことがわかります。
食事についても、「フカヒレ、ウズラの胸肉、カモシカの乳」を与えよという指示があり、当時の宮廷ペキニーズが皇族と同等かそれ以上の贅沢な扱いを受けていたことが示されています。
西太后スタンダードは単なる「ペットの飼育マニュアル」ではなく、ペキニーズという犬種が皇帝の権威と神聖さを象徴する「生きた装飾品」であったことを示す、重要な歴史的一次資料です。
| 部位・項目 | 西太后スタンダードの記述(要約) | 現代FCI基準との関係 |
|---|---|---|
| 顔の色 | 顔は黒くあるべし | マスク(黒い顔)は今も好まれる |
| 眼 | 大きく輝くこと | 大きく丸い眼が標準 |
| 耳 | 戦車の帆のようにセットされるべし | ハート型の耳飾りが規定 |
| 前肢 | 曲がっているべし(脱走防止の意図) | 弓状に湾曲した前肢が標準 |
| 食事 | フカヒレ・ウズラ・カモシカの乳 | 現代スタンダードに規定なし |
ペキニーズはなぜ世界に広まった?その歴史の裏に戦争があった
門外不出のはずだったペキニーズが、なぜヨーロッパの貴族社会に突如登場することになったのか。
その転換点となったのは、1860年の第二次アヘン戦争という歴史的な暴力の瞬間でした。
1860年、円明園が燃えた夜…英仏軍が偶然発見した5頭の犬
1860年10月、第二次アヘン戦争(アロー戦争)において、英仏連合軍は北京郊外の円明園(The Old Summer Palace)に侵攻しました。
「東洋のベルサイユ」とも称されたこの壮麗な離宮は、陶磁器・絹・翡翠の彫刻などの至宝を擁する中国が誇る建築の粋でした。
咸豊帝と宮廷の主力は熱河へと避難していました。
連合軍の兵士たちが無人の宮殿内に侵入し、大規模な略奪(Looting)を開始した際のことです。
ある后妃の居室の片隅で、5頭のペキニーズが発見されました。
記録によれば、これらの犬の飼い主であった皇帝の叔母は、外国軍による陵辱を逃れるために自害しており、5頭の犬たちはその遺体の傍らに寄り添ったまま、じっと留まっていたといいます。
この5頭のペキニーズは、連合軍の将校たちによって「生きている戦利品」として接収されました。
その後の数百年にわたる世界への普及を考えると、この偶然の発見がいかに歴史的な意味を持っていたか、改めて考えさせられます。
なお、英仏連合軍は円明園を徹底的に略奪した後、建物に火を放ちました。
この炎上により、数千点に及ぶ中国の文化的遺産が永遠に失われました。
ペキニーズが世界に広まった歴史の裏には、中国にとっては深い屈辱と喪失の記憶があることを、忘れてはなりません。
| 5頭の行方 | 接収した人物 | 贈呈先・その後 |
|---|---|---|
| 1頭(鹿毛・白の牝犬) | 英国陸軍ダン大尉 | ヴィクトリア女王へ献上→「Looty」と命名 |
| 2頭(SchloffとHytien) | ヘイ提督 | ウェリントン公爵夫人へ |
| 2頭(GuhとMeh) | ダン大尉経由 | リッチモンド公爵夫人へ→「Goodwood系統」の祖 |
ヴィクトリア女王への「戦利品」と呼ばれた犬、ルーティの話
5頭のうち1頭、イギリス陸軍第99連隊のジョン・ハート・ダン大尉が保護した非常に小柄な牝犬は、軍帽(forage cap)に入れられ、イギリスへの過酷な航海を生き延びました。
帰国後、ダン大尉はこの犬をヴィクトリア女王に献上します。
女王はこの犬に「Looty(ルーティ)」という名を授けました。
Lootyとは英語で「戦利品」「略奪品」を意味する言葉です。
中国という大国から力によって奪われた犬に、略奪を意味する名前をつけるというこの行為の皮肉は、当時の大英帝国の傲慢さを如実に象徴しています。
1861年、著名な動物画家フリードリヒ・ヴィルヘルム・カイル(F.W. Keyl)によって描かれたLootyの肖像画は、現在も英国王室コレクション(Royal Collection Trust)に収蔵されています。(Royal Collection Trust「Looty the Pekingese」)
Lootyの肖像画が教えてくれる「現代との違い」
この1861年の肖像画には、現代のペキニーズ愛好家が驚く事実が隠れています。
Lootyには、現代の個体と比べて明らかに突き出した鼻口部(マズル)があり、体格も犬としての自然な骨格構造を保っています。
現代のショードッグのような極端に平坦な顔は、宮廷時代の本来の姿ではなく、19世紀以降に欧米のドッグショー文化が追求した「過剰な特異性」の産物だったのです。
この点については、後のセクションで詳しく触れます。
Lootyは当初バッキンガム宮殿での環境に馴染めず孤立していましたが、後にウィンザー城での贅沢な生活に適応し、1872年に没するまで王室の寵愛を受けました。
ヴィクトリア女王がペキニーズを愛したという事実は、英国の上流階級や貴族女性たちの間でペキニーズブームを巻き起こす引き金になりました。
1898年には英国ケネルクラブ(The Kennel Club)がペキニーズを新犬種として公式に登録。
1904年には英国初の専門ブリーダーズクラブ「Pekingese Club」が設立されたとされています。
そしてアメリカでは1906年にAKCが公式登録し、1909年にアメリカ・ペキニーズ・クラブ(PCA)が結成されました。
ペキニーズのJKC公認と現代のスタンダード|2,000年の歴史の最終章
宮廷から世界へ。
ペキニーズはケネルクラブによる公式な犬種標準のもとで管理されるようになりましたが、その過程で「人間の欲望」が犬の体に新たな問題をもたらしました。
JKCが定めるペキニーズのグループ分類と犬種標準の要点
現代のペキニーズは、国際畜犬連盟(FCI)の公式スタンダード(No.207)において、グループ9(コンパニオン&トイ・ドッグ)、セクション8(日本の狆およびペキニーズ)に分類されています。ジャパンケネルクラブ(JKC)もこのFCI基準に準拠しています。(JKC公式「ペキニーズ 犬種標準」)
原産国は「中国」、パトロネージ(後援国)は「英国」という特殊な指定は、前述の歴史的経緯を色濃く反映しています。
| 項目 | FCI(国際) | AKC(米国) | JKC(日本) |
|---|---|---|---|
| グループ分類 | グループ9・セクション8 | トイグループ | グループ9(FCI準拠) |
| 体重上限 | 雄5kg以下 / 雌5.4kg以下 | 14ポンド(約6.35kg)超は失格 | FCI準拠 |
| 頭部定義 | 平坦なプロファイル(顎・鼻・額が一直線) | 同左(lying in one plane) | FCI準拠 |
| 被毛 | ダブルコート+たてがみ状飾り毛 | 同左 | FCI準拠 |
| 原産国 | 中国 | 中国 | 中国 |
体重に関してはFCIとAKCで数値に差があります。
AKCが「14ポンド(約6.35kg)を超えたら失格」と厳格に定めているのは、20世紀初頭に英国で起きた「より大型化しようとするブリーダー」対「本来の小型を守ろうとする純粋主義者」の論争の名残です。
犬種の歴史的正統性をめぐる争いが、スタンダードの数字に今も刻まれています。
古代から現代へ…宮廷のペキニーズと現代のペキニーズ、何が変わった?
ヴィクトリア女王のLootyの肖像画(1861年)を見ると、現代のペキニーズとは明らかに異なる顔立ちが確認できます。
19世紀のペキニーズには突き出した鼻口部があり、体格も犬として自然な骨格構造を保っていました。
それが欧米のドッグショー文化の中で、「より平坦に、より特異に」という方向への人為的選択が加速し、現代の極端な短頭種が誕生しました。
BOAS(短頭種気道閉塞症候群)という代償
この極端な短頭化は、現代の獣医学において「短頭種気道閉塞症候群(BOAS: Brachycephalic Obstructive Airway Syndrome)」と呼ばれる深刻な健康問題を引き起こしています。
頭蓋骨が短縮される一方で軟部組織の縮小が追いつかないため、気道が物理的に閉塞します。
具体的には、慢性的な呼吸困難・睡眠時無呼吸・運動不耐性・熱中症への極度の脆弱性といった症状をもたらします。
また眼球の突出による角膜潰瘍などの眼科疾患や、深いしわに起因する皮膚炎(皺壁皮膚炎)も頻発するとされています。(PetSure「短頭種に関する獣医学的研究レポート」)
こうした問題を受け、近年FCIやUKCのスタンダードには「呼吸困難を引き起こすような過度な顔のしわや狭い鼻孔は避けるべき」「大きく開いた鼻孔を持たねばならない」という福祉的注記が明記されるようになりました。
宮廷が「獅子に似せよう」とした1,000年の歴史に対して、現代の獣医学がブレーキをかけているという、複雑な状況が生まれています。
| 時代 | 顔・鼻口部 | 体型 | 健康状態 |
|---|---|---|---|
| 19世紀(Looty時代) | 鼻口部あり・比較的自然な顔 | やや足長・自然な骨格 | BOASリスクは低い |
| 20世紀初頭(ショー文化黎明期) | 短頭化が加速 | 胴長化傾向 | 呼吸問題が顕在化 |
| 現代(FCI・AKC・JKC基準) | 平坦な顔が標準 | 「持ち上げると重い」重厚感 | BOAS対策としてスタンダード改訂中 |
ペキニーズを飼うと決めたなら、この健康的な背景についても事前に把握しておくことが大切です。
寿命への影響も含めた詳細はペキニーズは本当に短命?平均寿命・ギネス記録・長生きの秘訣で詳しく解説しています。


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